納得いかない
いまだにコロナウイルスの影響が続いています。みなさまどうぞご自愛くださいませ。
さて、今回は日本人は自己責任や自己判断という言葉から縁遠い人種だと感じたことについてつらつらと書きたいと思います。あくまでも個人的見解なのでご了承ください。
コロナワクチン接種について、街頭インタビューで「副反応が100%なかったら打ちたい」とか「周りが打つからします」などのコメントを見聞きしますがなんなのでしょうね。基本的に物事に100%など存在しないということがなぜ理解できないでしょうか。それこそインフルエンザのワクチンでも副反応はあります。コロナワクチンは100%でないと打ちません。でもインフルエンザのワクチンは打ちますなどいう人は自らの言葉の矛盾にも気づいていないのでしょうね。
ワクチンを打ったから大丈夫なのではなく、重症化リスクの軽減が最大の理由だったはずです。ワクチンの効き目がデルタ株だと下がるとか言っていますが、インフルエンザのそれより有効率は高いはずです。なぜその話が一切聞こえないのでしょうね。マスコミの不作為なのでしょうか。
ワクチン接種後の死者が1000人を超えたそうです。その事実は大変重いものですが、とあるコメンテーターが「共通項などのじょうほうだしてほしい」「因果関係をはっきりさせてほしい」と叫んでいましたが、1000人という数字は重いですが統計学として考えれば明らかに分母が少ないのは明白です。出しようのないものを出せと言い、出せないから不信感が出るのだと煽る。その報道姿勢に疑問を感じるのは私だけでしょうか。
人は生きている限り、常にyes、noの選択を強いられています。その選択の結果を他者、特に国や地方自治体といった公的機関に責任をかぶせることのなんと多いことか。もちろん公的機関の責も大きいものがあるのは認めます。
しかし、飲酒運転の事故があるたびに国が法整備をしないからだとか、酒を飲んだらエンジンがかからない機械をつけろとか言う。そもそもそんなことする人は何があってもするし、抜け穴を探します。音楽フェスなどで感染症対策も碌にしていないいいますが、そもそもこのご時世にそれに参加する人達だということを忘れていませんかと言いたい。
出てききた結果というものは今までの自分の行動の選択の結果なのだということを肝に銘じるべきではないでしょうか。自分も含めて。